全面禁煙する企業が大幅増加、職場での喫煙は「サボり」なのか

企業の職場においてタバコを禁止する、いわゆる「全面禁煙」の動きが加速している。帝国データバンクが発表した調査によれば、社内での喫煙を不可とする全面禁煙は22.1%と企業の5社に1社が実施している。

喫煙は生産性向上のための行為か、単なるサボタージュか

業務時間中に席を外しやすいかどうかは、勤務形態や職種、社風によるものなので一概に言えないが、オフィスワークであれば、多くの職場ではある程度自由なものである。

たとえば、業務中にちょっと手洗いに立つことを禁止するような職場は、あり得ないだろう。

リフレッシュするために、コーヒーを淹れに給湯器を訪れる。そこで顔を合わせた同僚と、世間話にしばし興じる。これも、咎められるようなことではない。

それでは、これはどうか。良いアイデアが浮かばないので、気分を変えるために散歩に出る。

筆者としては全然オーケーだが、人によってはこれは駄目だということもあるだろうか。10分、15分程度ならいいだろうか。1時間帰ってこなかったら、さすがにNGだろうか。「リフレッシュのための散歩時間、何分までが許されるか」なんてアンケートを取ってみるのも面白いかもしれない。

一方で、企業によってはバランスボールを置いたり、ごろ寝ができるスペースを設置することで、「自由でクリエイティブな空間」を演出することもある。マインドフルネスを高めるために、瞑想時間を取り入れる組織もある。最近は昼寝を推奨する「シエスタ制度」なんかも話題である。

「仕事の途中で、煙草休憩と称して席を立つ人と、そうでない人が、同じ時間働いているからって、給料が変わらないというのは、おかしい」

「仕事の途中で、生産性向上施策と称してシエスタをする人と、そうでない人が、同じ時間働いているからって、給料が変わらないというのは、おかしい」

こうして並べてみると、どちらがどうおかしかったのか、ちょっとよくわからない気分にならないだろうか。

表面的なイメージに惑わされず、思考停止を避けて徹底的に考え抜く

「生産性=机にかじりついている時間」ということは、少なくともホワイトカラーの世界ではあり得ない。世間的にもこれは共通見解となっている。時間のなかで、上手に余白をつくって全体的な生産性を高めるのは全然悪いことではない。

そのツールとして、「昼寝」や「瞑想」を取り入れる取り組みは「先進的」だからよい、「喫煙」を許容するのは「守旧的」だから駄目、とする人は、単にイメージに振り回されているだけである。

もちろん、身体には悪いし、喫煙は避けたほうがいい。当たり前の話だ。

しかし、だからといって、「生産性」という正義を錦の御旗にして、これを「公的に制限してよい」という発想は危険だ。

その論理で喫煙を制限できるのだとしたら、飲酒だったら制限すべき、という主張もあり得るわけだし、もっと言ってしまえば、食事内容からスポーツへの取り組み、睡眠時間のマネジメントから自己啓発に至るまで、すべて「標準化すべし」ということに至ることが論理上は可能となる。

それはユートピアだ、理想の話だ、最高だ、という人もいるかもしれない。たしかに、標準化や統一化、一体化をしたいという欲求があるのもまた、人間である。

ただ、その発想の極致にあるのが、「無能の禁止」という、大変恐ろしいものであることは考慮しなければならない。一定要件該当者以外には生存する権利がないなどという発想は、誰にとっても肯定すべきものではない。

企業のマネジメントとは、社会秩序の形成における主要な要素である。やはり、筆者としては、表面的なイメージのもとに公共ルールが設定されることに、違和感を覚えるのである。

煙草という身近なものを題材に、「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてを挙げて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人がすべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」という難題について、どこまで徹底的に考え抜くことができるのか。すこし腰を据えて、考えてみてもいいのではないかと思っている。