みずほ銀行の次期システム開発はなぜ炎上した?今さら聞けない合併・統合失敗の歴史【図解】

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記事の情報は2017-11-06時点のものです。

みずほ銀行の新システムが2018年にようやく完成し、移行スケジュールが示されている。みずほフィナンシャル・グループが発足した2000年から18年が経過したが、その間、みずほ銀行次期システム開発は、長らく経営の重しとなり続けてきた。富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行という三行合併の歴史を振り返り、混迷・失敗の背景を探ってみたい。(追記:2018年6月12日)

筆者は当時ソフトウェアベンダーに勤務しており、旧富士銀行、旧第一勧業銀行、旧日本興業銀行のそれぞれのシステム部署と仕事をしていたが、対抗意識を超えたある種の近親憎悪に驚いたことは一度や二度ではない。

みずほ銀行発足時は、富士銀行のシステムが廃棄され、第一勧業銀行のシステムがみずほ銀行のシステムとして残されることとなった。

同時に、日本興業銀行のシステムはほぼそのまま維持されみずほコーポレート銀行のシステムとなることになった。三行合併のメリットを生かすことなく、すべてが中途半端である。

2002年と2011年に起こったシステム障害の内容と原因

2002年4月、みずほ銀行が発足した初日からシステム障害が発生した。

みずほ銀行発足時点でシステム統合は完了していなかったが、これは珍しいことではない。システム統合には膨大な時間と人員が必要となるためだ。

システム統合が完了するまでは通常、三行のシステムが相互にやり取りをできるようにする。

2002年のシステム障害は、この「三行のシステムが相互にやり取り」するためのシステムによって起こった。

システム障害の内容は、キャッシュカードでお金が引き出せない、給与が振り込まれない、二重に振り込まれる、といった致命的な障害が何百万件に渡って発生する、というものであった。

1か月以上に渡り広範囲に影響が及んだこの障害の最中には、ベンダーのエンジニアが過労自殺するという痛ましい事件も起こっている。

結果、金融庁がみずほに対して業務改善命令を出し、みずほ銀行が定期的に業務改善状況の報告を義務付けられるという屈辱的な結末となった。

その後、みずほ内の体制変更が相次いだこともあり、システムの抜本的な見直しは先送りにされた。

合併当初に「みずほはどのような金融グループとなるか」という具体的なビジョンがなかったために、グループをどのような体制とするか迷走していた時期だったともいえる。

しかし、大規模なシステム障害はこれで終わらなかった。2011年の東日本大震災発生時に、テレビなどの呼びかけもあり、みずほ銀行の口座に義援金の振り込みが1万件以上も行われた。

それはなぜか?みずほ銀行のシステムは、第一勧業銀行時代から継続して利用されている1988年に完成した古いシステムであることから、「1つの口座に1万件以上という大量の振込依頼が来る」という事態が想定されていなかったのである。

結果、振り込みが正常に処理されずに失敗し、他の業務にも影響が出る事態が発生。さらに翌日には、携帯電話会社が「大規模な義援金呼びかけ」を行い、なんと2日続けて同じ原因で振込処理失敗が発生したのである。

この影響は10日以上続いた結果、みずほ銀行はシステム障害を理由とする二度目の行政処分を金融庁から受ける。みずほ銀行は再び信用を失ったのであった。