「日本人らしさ」を活かした個別最適化マネジメントで働き方改革を

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記事の情報は2017-11-24時点のものです。

リクルートで働き方変革プロジェクトに携わったのち家族で世界旅行中のライフシフター佐藤邦彦氏、コラム第2弾では「日本と欧州のメンタリティ」の違いにフォーカス。マネジメントを進化させれば"壁"多き働き方改革も成功できる、そのポイントを語っていただきました。
「日本人らしさ」を活かした個別最適化マネジメントで働き方改革を

働き方改革は、「マネジメント改革」だ

実は、2025年には生産年齢人口1.9人で、65歳以上のいわゆる年金生活者を1人支える構造となることが予測されている。「少子高齢化」「介護」など、働く個人にまつわる構造的な変化が日本に及ぼす影響は計り知れない。

切迫した背景から叫ばれているのが、多様な個人が活躍できる世の中を目指した「働き方改革」だ。しかし、いま一歩うまく行っていないというのが実情ではないだろうか。

前回の記事でも述べたように、働き手が多様化するのに、マネジメントが「一律」「全体最適」という従来の在り方だから、働き方改革は失敗する。

では、日本が「個別最適化」のマネジメントへ進化するためにはどうすれば良いのか?

今回は、筆者が欧州16か国を訪れ、Google欧州本社のほかにもWeWorkでの取材や合計77日の民泊体験を通じ、多様な働き手の方々のお話を伺った体験や学びをふまえて、日本の働き方改革への助言を記載したい。

欧州と日本におけるメンタリティの違いと、その背景

Google欧州本社で垣間見た、従業員を「支援」するマネジメント。ここに、働き方改革を推進するためのヒントが隠されている。前回の記事でも触れた通りだが、「Googleだからできる」という一言で終わらせるのは勿体ない。

筆者は欧州16カ国をまわるなかで、従業員を「支援」するマネジメントがなぜ可能なのか?という問いに対し、欧州と日本のメンタリティの違いに着目した。

異質なものとの対峙経験が多い欧州の人たち

ここでいう「異質」とは、自分から見たときに相手が何かしらの「違い」をもっているという意味合いで捉えて頂きたい。

異質なものとの対峙経験が多くなると、違いを認識し、受容することに適応しやすい。欧州はそういった経験をしやすい環境にあるのだ。その背景を紹介しよう。

まず「移民」政策を取り入れている国が多いことだ。

例えばオランダ。強大なEU諸国が隣国にありながら、地理的要因で経由地の色合いが濃い同国では、労働力と優秀な人材確保のために移民政策を推進してきた。

実際にアムステルダムのコワーキングスペース、WeWorkで8人ほど話を聞いたが、生粋のオランダ人は半分しかいなかった。

スタートアップ経営者でアメリカ人のAさんは言う。

「欧州の人は家族が大事で5時には帰る。アメリカでは死ぬほど働くから戸惑った。でも、欧州のメンタリティをまずは受け入れることにした。ここで成功するために、だ。自分の物差しで決めつけずに相手と対話することが増えたら、協働の仕方も見えてきたんだよ。」異質なものとの対峙経験を、こう語る。

「戦争」による領土争いの歴史も大きい。欧州で生きる人々のアイデンティティー形成に影響を与えている。

日本であれば、日本で生まれたから日本人。先祖代々、日本で暮らしているから日本人。それ以上は考えたことがない、という人が多いかもしれない。

しかし、例えばクロアチアは違う。クロアチア、セルビア、スロベニアの3国は国境が都度変化し、統合されたユーゴスラビア時代を経て、クロアチアとして独立した。そんな時代を生きた人からすると、生まれた土地や人種が自分を定義することにはならない。

クロアチア人のBさんは「自分が何者なのか?に答えるのは簡単じゃない。すごく複雑な話なんだ。」と呟く。アイデンティティーは与えられるものではなく、自分で考えなければいけないものとなるのだ。

そして「宗教」の存在。日本にいると身近な生活に宗教を感じることは多くないが、欧州は違う。

仏教を信仰するデンマーク人、イスラム教徒でドバイ出身のルクセンブルク在住者など、16か国を旅するなかで、本当にさまざまな人に出会った。

宗教が働き方に及ぼす異質な体験を1つ挙げておきたい。エジプト航空のカウンターに従業員が1人もいなかったことがあった。搭乗手続き締め切り時間の20分前である。

あたりを見回すと、カウンターの少し裏側で全員がお祈りをしている。イスラム教の慣習である。搭乗まであと7分のところで、ようやくカウンターに戻って来た。

あえて「カウンターに行列が出来ていたよ?」と話を振ってみたが、質問の意図すら理解していないようだった。

「違い」を認識するという事は、「ある1つの事象がある時に、Aから見ると黒であり、Bから見ると白である」が分かるということだ。日本からしたらあり得ないが、彼らからしたら、普通のことなのである。