ハーバード・ビジネス・スクールの教授クレイトン・クリステンセンによる著書『イノベーションのジレンマ』が発表されて以来、さまざまな企業で「破壊的イノベーション」の必要性が叫ばれてきました。
企業のイノベーション理論を扱った書籍のなかで、もっとも有名なこの本は、それまでのイノベーション(持続的イノベーション)の考え方とは異なる非常に革新的な理論を提唱したものでした。特に、日本企業が得意としてきた漸進的な改善や改良といった考え方とは対極的な考えであるといってよいでしょう。
ビジネスパーソンならば一度は聞いたことのある理論ですが、名前だけは知っていても、具体的にどういうものかを知らない人も多いはずです。
そこで本記事では、クリステンセンの唱えたイノベーション理論の概要について説明し、破壊的イノベーションを起こすために必要なポイントについて迫っていきます。
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破壊的イノベーションとは
『イノベーションのジレンマ』のなかで語られた「破壊的イノベーション」とは、市場における既存のルールを根本的に覆し、そこにまったく新しい価値を創出するイノベーションのことで、ローエンド型と新市場型の2つの類型があります。
詳しくは後述しますが、前者は高価格で複雑な製品が溢れる市場において、より低価格でシンプルな製品を提供することでローエンドを支配し、その後さらに改良を重ねることでハイエンドをも席巻します。
そして後者は、破壊的技術を用いて、それまで市場になかった新しい価値を提供することでシェアを獲得するイノベーションです。
いずれの類型においても、それまでその市場で当たり前だった評価の軸を変える製品を投入することにより、競争のルールそのものを変更し、当該市場で隆盛を誇っていた企業の脅威となります。
つまり、消費者がそれまで見過ごしてしいた領域に目を向けさせることによって、その市場における製品評価のポイントを変えてしまうわけです。
この強制的なルール変更によって、たとえ創業したばかりの零才企業であっても大企業の脅威となり、場合によっては、その企業に成り代わって市場のトップリーダーの地位に躍り出ることも可能になります。
大企業としては、この脅威を真剣に受け止め、自らが破壊的イノベーターとなることで市場に新しい価値を提供し続ける必要があります。
持続的イノベーションとの違い
破壊的イノベーションに対して、既存顧客の要望を取り入れ、改善・改良を積み重ねていくのが持続的イノベーションです。これは現在市場で求められている製品やサービスについて、それまでと同じ方向性で価値を向上させるアプローチといえます。
たとえば、家電や自動車などは年を追うごとに性能の高いものがリリースされていますが、これは企業の持続的イノベーションの賜物といえるでしょう。テレビでいえばより高画質なものを、自動車でいえばより低燃費なものを…という流れです。
大企業にかかわらず、企業のほとんどは日々この持続的イノベーションを繰り返しているといえるでしょう。
破壊的イノベーションの例
破壊的イノベーションの例を紹介します。破壊的イノベーションは、持続的イノベーションとは逆に、既存市場で当たり前となっている価値を低下させ、まったく別の価値基準を作り上げるアプローチです。
たとえば、それまで高画質が主な競争ポイントだったデジタルカメラ市場は、携帯電話に備えられたカメラの登場によって、消費者の製品評価のポイントに「多機能」という新しい軸が生み出されました。
それまで消費者の多くが「画質」という点からカメラを評価していたところに、新しく「多機能・高機能」という評価軸が加わり、多くの消費者が携帯電話のカメラ機能があれば個別のカメラはいらないと判断するようになったのです。
この現象は、それまでデジタルカメラ業界を席巻していた企業からすれば脅威以外の何者でもなく、どのメーカーも軒並み売り上げを大きく落とすことになってしまいました。これが携帯キャリアによる破壊的イノベーションの例です。
イノベーションのジレンマとは
市場のルールを変えてしまう破壊的イノベーションについて説明したところで、クリステンセンの提唱した「イノベーションのジレンマ」についても解説しておきましょう。
製品の「オーバーシューティング(過剰解決)」とは
同著におけるクリステンセンの問題意識は「なぜ市場で大きなシェアを占めている大企業が突如としてイノベーションに失敗し、業界の地位を新参の企業に明け渡してしまうのか」ということでした。
消費者の要望にしたがって改善・改良を積み重ねていくのがそれまでのイノベーションの基本でした。
しかし、クリステンセンの調査によれば、その方針で製品改良を繰り返していると、いつの間にか製品の性能が顧客の求めるレベルを超えてしまい、高価格で過剰なスペックのものができ上がってしまうことがわかりました。
消費者の要望に忠実であろうとするあまり、いつの間にか大企業は「無用の長物」を市場に提供してしまうようになるわけです。これをクリステンセンは「オーバーシューティング(過剰解決)」と呼んでいます。
持続的イノベーションのジレンマ
クリステンセンによれば、持続的イノベーションはこのオーバーシューティングがつきもので、市場が成熟してくると、消費者が望む性能よりも企業の技術進化の速度が常に上回るようになります。
そうなると、ある一定の方向で(過剰な)改善・改良が進められ、気がつくと、実際は消費者が望んでもいないような複雑で高価格な製品が市場に溢れるようになります。
そんななかで、破壊的イノベーターの手でまったく新しい価値をもつ製品が市場に投入され、競争のルールが変わってしまっても、既存の価値基準のもとで大量に製品を供給している大企業は、なかなかその破壊的技術を活かせません。結果、その企業がそのルールに適応する頃には、新参の破壊的イノベーターに大きな差をつけられてしまうわけです。
このように、既存の市場で持続的イノベーションを繰り返す企業が、まったく新しい価値を提供することで破壊的イノベーションを起こすイノベーターに駆逐されてしまう状況を、クリステンセンは「イノベーションのジレンマ(※原著ではイノベーターのジレンマ)」と呼んだのです。
2種類の破壊的イノベーション
先述のように、破壊的イノベーションには2つの類型が存在します。それぞれもう少し掘り下げてみましょう。
ローエンド型破壊的イノベーション
ローエンド型の破壊的イノベーションは、既存市場でオーバーシューティングに陥った高価格で複雑な製品に対抗すべく、より低価格でシンプルな製品を投入することで起こるイノベーションです。本来、こういった品質を犠牲にしたような安価な製品は、既存の高品質製品を提供している大企業は見向きしません。
しかし、ローエンド型の破壊的イノベーターは、それまで大企業にはターゲットにされていなかったローエンド市場を支配します。そして、そこで圧倒的なシェアを獲得しながら改良を重ね、最終的には上位市場のニーズを持たすハイエンド市場にも進出してきます。
そうなると、それまで高品質の製品を提供した企業は、さらに上位市場に対して製品を提供することで顧客数を減らしてしまいます。
ローエンド型の例
ローエンド型破壊的イノベーションの代表例がLCCです。それまで機内サービスや安全な運行によって差別化していた航空業界では、特定路線のみであるものの、とにかく低価格な就航を可能にしたLCCのローエンド型イノベーションによって脅威に晒されています。
LCCの登場によって、それまで経済的な理由で旅行に航空券を購入できなかった層がLCCを利用するようになり、新しい市場が形成されたわけです。
新市場型破壊的イノベーション
圧倒的な技術革新により生み出した製品やサービスを、新しい価値基準のもとで、まったく新しい市場に投入するのが新市場型の破壊的イノベーションです。
ローエンド型は「価格」という面で消費者を惹きつけますが、新市場型では、その市場にそれまでなかった新しい「価値」を提供することによってシェアを獲得していきます。その市場に新たな製品評価の軸を作り出すわけです。
新市場型の例
新市場型破壊的イノベーションの代表例がルンバです。
それまでの掃除機の進化の過程では考えられなかった新しいコンセプトから生まれた掃除ロボットであり、吸引力や取り回しのしやすさという面で性能の向上を図ってきた市場に、ロボットが勝手に掃除をしてくれるというコンセプトを持ち込むことでイノベーションを起こしました。
当初は機能的に不十分な面もあったようですが、徐々にマスマーケットに普及するほど性能も向上しています。現在は吸引力の代名詞ともいわれるダイソン社でも掃除ロボットを発売するようになっています。
破壊的イノベーションの実例
続いて、破壊的イノベーションを起こした企業と製品の事例について、特に有名なものをみていきます。
アップル社「iPhone」
アップル社によるイノベーションから生み出されたのがiPhoneです。これまでの単なる携帯電話から、携帯機能を含んだ小型コンピューターというコンセプトのもとで開発されました。
当時のスティーブ・ジョブズの開発チームには、技術者やデザイナーのみならず、科学者や教育者、音楽家などさまざまな分野のプロが終結し、これまで誰も見たことがなかったような新製品の開発のため多くの議論が交わされました。
その結果、音楽プレイヤーとして、あるいはアプリのプラットフォームとして、そして通話のできる高機能コンピューターとして、人々のライフスタイルやワークスタイルを変化させる画期的な製品が生み出されることになったのです。新市場型破壊的イノベーションの代表例といえるでしょう。
フェイスブック社「facebook」
いまやユーザー数10億人以上を誇るフェイスブックも、世界中の人々のコミュニケーションや出会いのあり方を変えたイノベーションの産物といえます。
Facebookでは、つながった相手との共通の友人など、その人との「共通の友人」を可視化することで、より親近感を湧かせる仕掛けが散りばめられています。
さらに実名での登録を義務づけるなど、それまでのSNSでは考えられなかったルールにすることにより、好きな時に、好きな場所で安心してつながれる場所の提供に成功しています。
破壊的イノベーションを起こすために
破壊的イノベーションの概要を解説してきましたが、これから企業が破壊的イノベーションを起こすために必要となるポイントについて説明します。
無消費を探す
クリステンセンは、新市場型の破壊的イノベーションを「無消費」に対抗するイノベーションと位置づけています。
「無消費」とは、何らかの制約によって製品・サービスが使われていない状態のことで、この観点からさまざまな市場を調査することにより、破壊的イノベーターになれる市場を見つけやすくなります。
たとえば、製品を小型化する技術を音楽プレイヤーの市場に投入したウォークマンのように、自社の強みを存分に活かせる市場を見つけ、そこになかった価値基準を作り上げることでイノベーションを起こしやすくなります。
満足度が今以上に向上する顧客層を探す
ローエンド型の破壊的イノベーションを起こすには、まず製品のオーバーシューティングが起こっている市場を探し、今までよりも劣った品質であっても、安価であれば乗り換えようと考えている消費者がいるかどうかを調査することです。
そういう消費者が多ければ、たとえその分野で技術力が足りなかったとしても、はじめにローエンド市場に安価な製品・サービスを投入することによって、最終的には大きな市場を獲得できる可能性があります。
複雑で消費者の手に余る製品を提供している市場において、彼らが本当に必要としている機能だけを備えた低価格な製品を提供してシェアを伸ばすわけです。
大企業にこそ破壊的イノベーションが求められている
クリステンセンの著書『イノベーションのジレンマ』のなかで語られている「破壊的イノベーション」の解説をしてきました。
イノベーションという言葉はビジネスシーンで頻繁に使われますが、その多くが持続的イノベーションに関するものであり、クリステンセンがその必要を語ったような破壊的イノベーションについては、真剣に検討されることは少ないようです。
しかし他の業界からヒントを得て、新しい市場を開拓することで成功した企業はたくさんあります。逆に、既存の価値基準にこだわり過ぎたあまり、新参の企業に駆逐されてしまった企業も少なくありません。
あらゆる市場が飽和状態となっている今、企業に求められるのは、それまでの業界の常識を覆し、消費者や顧客にまったく新しい価値を提供する破壊的イノベーションではないでしょうか?
既存の価値基準に拘泥してしまいがちな大企業にこそ、特に破壊的イノベーションが求められる時代になっているのです。ぜひ、自社の状況を確認し、組織として破壊的イノベーションを起こすための環境の構築を検討してみてください。