過度な自責は逆効果?現代人に必要な他責スキルとは

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他責は「人のせいにする」という側面からネガティブに捉えられがちですが、上手く使いこなせると精神を健全に保つための心強い味方となります。それでは一体、どのようなタイミングで他責を使えばいいのでしょう。
過度な自責は逆効果?現代人に必要な他責スキルとは

他責を使いこなす

みなさんは不都合な問題が発生したとき、上手く他責を使えていますか?

他責は「人のせいにする」というその意味合いからネガティブなものだと捉えられがちですが、実のところはポジティブな側面も備えています。

他責というスキル

他責をただ「悪」と捉えるのではなく、スキルとして使いこなせば有用であるということを説明していきましょう。

スキルとして使いこなす

他責は一般的にしてはならないものとされていますが、「スキル」としてコントロールすると有益なものでもあります。

私がかつて在籍していた会社では社訓のようなものとして「他責は絶対にしてはならない」という教えがあり、かくいう私もそれを盲信していた時期があります。

他責は悪いことで、問題解決に対する思考を停止する。それは至極正しいことだと思います。

ただ飽くまでこれは、時と場合によるものであると私は考えます。

他責=悪で、自責=正義なのか

他責が悪という教えは合理的な考えに基づいたもので、合理性を度外視した精神衛生の面から見ると、危険な側面が見え隠れします。

他責を悪とし、無思考に「すべて自責してしまえばいい」という考えに蝕まれている人は特に注意が必要です。

他責は他責ですべて人のせいにしてしまうため楽なのですが、自責も自責ですべて自分のせいにしてしまえばいいだけなので、結局は楽です。

このように物事をすべてどちらかにふりきることは思考の停止にほかならず、自責の場合もそれに反省が伴っていなければすべて「私の能力不足だから仕方がない」で片付いてしまう(実質はただの先延ばし)のです。

ですがそれは時として、他責よりも不幸な結末を招きかねません。

適度な他責は精神を健全に保つ

ここで言いたいのは、他責も自責も適度に使うのであれば精神を安定させ成長を促進してくれるということです。

重要なのは他責のタイミング

重要になってくるのは、他責のタイミングをコントロールできるか否か。

人として生きていれば、当人では解決し得ない問題が山のように発生します。かつそれは外的な要因である場合が多いです。

そういった外的な要因によってもたらされた不慮のすべてを自責で片付けていくと、精神はいつか必ず崩壊します。

自責した問題は大抵の場合、時間の経過とともに優先順位が下がる、もしくは本人の手によって解消されていくわけですが、この時間の経過速度に対し自責の山が閾値を超えてしまうと、精神が崩壊してしまうというわけです。

よく一般に言われる「意識が高い人」は、特にこれが原因でうつ状態になってしまいやすいです。

そういったことを防いでくれるのが他責スキルというわけです。

逆に自責すべきタイミングは

他責すべきタイミングとは逆に、自責すべきタイミングというのも存在します。それは、「意味のある反省ができる」場合で、そのタイミングでの自責はその価値が最大化されます。

ですが反省が意味をなさず個人の蓄積値として次回に活かせない場合、いわゆる「後悔」は全くもって非建設的な思考です。不慮の事象に対しどれだけ後悔したところで、次に活かしようがないからです。

そういった自分ではどうしようもない事象、どうしようもなかった現象に対しては他責を使うべきで、そうすることであなたに対する不必要な精神への負担を軽減してくれます。

他責はあくまで必殺技

他責は精神への負担を軽減するスキルとしてとても有効ですが、ノーリスクで使い続けられるものではなく、かつそれには中毒性があります。

常用的に使い続けることで、思わぬ負のループにハマってしまいかねません。

閾値を超えると始まる負のループ

他責はいざというときのスキルとして使うのであれば精神の健全化に一役買いますが、これが常套手段として習慣づいてしまうと、思わぬ負のループを引き起こしてしまいます。

飽くまで他責は、外的な要因による不慮にのみ有効となる言わば「必殺技」。当たり前ではありますが、必殺技はノーリスクでは使い続けられません。

自責ばかりすることで思考が停止する旨は上述しましたが、他責も常套手段として常に使い続けると、問題に対し思考をやめる習慣がつくことは容易に想像がつくでしょう。

目の前の問題に対し目をそむけ、すべて人のせいにすることで自身で解決を試みない状態が当たり前になってしまうわけです。

他責の常用化は危険

目の前の問題から目をそむけることで一時的にストレスに対処できているように錯覚しますが、それは見て見ぬふりをしているだけに過ぎず、ストレスの元は息を潜めたまま存在し続けます。

その息を潜めたストレスの元は本来であれば自責により解決できることかもしれませんが、他責の常用化によって自責せず見て見ぬふりをした結果、幾度となく本人の前に表れ「負の資産」としてその人の中、ないしは取り巻く環境にどんどん溜まっていくわけです。

もちろん時間が解決してくれることもあります。というより、その場合がほとんどです。

ですがその解決を手助けする時間の速度を、負の資産の蓄積速度が超えたときあることが起こります。

「人のせいにし尽した」状態になるのです。

そうなってしまったら最後、自身の人間関係や環境を不幸だと嘆くばかりで、他責が解決策になることはもうありません。

自責同様、他責も常用化するとうつ状態に

そうなった場合、大抵の人はうつ状態か人間不信になってしまうことが多く、ここから立ち直るのは容易なことではありません。

立ち直るための一歩としては、これまで自分が他責としてきたことが間違いだったことを認めなければなりません。これまでの過ちに対し自責を行う必要があるわけです。

ですがこの状態になった人はレジリエンスが極端に落ちているため、このタイミングで自責などしようものならば自分の存在の意義すらを問いかねず、それを避けるために本能的に脳はその手段をとりません。とれません。

このように「自責が解決手段になるにも関わらず自責という手段を本能が拒む」状態になってしまうのです。

ほどほどに人のせいにしよう

自責ばかりしている人はほどほどに他責をし、他責ばかりしている人は無理をしてでも自責ベースの思考を取り入れないと苦労します。

どちらもほどほどであれば自己を成長させる大きな糧となるわけで、逆にどちらかに偏り過ぎると必ず痛い目を見ます。その塩梅は人それぞれ異なるので、自身の精神状態と相談するようにしてください。

みなさんも他責スキルを使いこなし、このストレス社会を明日も生き延びましょう。