「戦略的メンタルヘルスのススメ」強い組織を作るための人材投資

最終更新日: 公開日:

記事の情報は2019-08-06時点のものです。

労働人口が減少する近年、HR領域では人材を経営資産ととらえ、個々が十分なパフォーマンスを発揮できる組織の在り方が模索されはじめている。そのひとつが「メンタルヘルス対策」だ。メンタルヘルステックで業界をけん引する2社から、企業の現状や課題、単なるリスク対策ではなく人材投資として取り組む「戦略的メンタルヘルス」の重要性と実践方法について話を伺った。【ラフール代表取締役社長 結城啓太氏×メンタルヘルステクノロジーズ代表取締役社長 刀禰真之介氏】
「戦略的メンタルヘルスのススメ」強い組織を作るための人材投資

(企画・編集:安住久美子、執筆:橘夢人、撮影:岸本美里)

ストレスチェック義務化後も増え続ける精神疾患

労働人口が減少し採用競争が激化する現代。従業員の確保や定着、一人ひとりの生産性向上は重要な経営課題のひとつである。また、従業員の健康管理を戦略的に実行する「健康経営」も注目されている。その中で、対策の速度が上がらないと指摘される分野が「メンタルヘルス」領域だ。

2015年に50人以上の事業場におけるストレスチェックと産業医の選任が義務化されたものの、厚生労働省が発表した資料によれば精神障害による労災認定件数は、年々増加している。現状、企業のメンタルヘルス対策はどうなっているのだろうか。

本記事では、テクノロジーを活用して企業のメンタルヘルス問題に取り組む2社の対談で、現状の課題やこれからの企業の在り方について、考察していく。

3,000社以上を支援した知見とデータを元に、健康経営を実現するための独自の組織改善ツール「ラフールサーベイ」を開発したラフールの結城氏、そして産業医を軸としたメンタルヘルスソリューションサービスを展開する、メンタルヘルステクノロジーズ刀禰氏に話を伺った。

結城 啓太(ゆうきけいた)氏 ラフール代表取締役社長 3,000社以上の情報に基づき、メンタル・フィジカル・エンゲーメント・環境の4つの視点から、健康経営を実現するための組織改善ツール「ラフールサーベイ」を開発。戦略的メンタルヘルスに欠かせないデータ収集、解析・分析、対策サービス提案を提供する。同社のビジョンは『ラフールネスで世界を笑顔に』。※ラフールネスとは、社員すべてが健康で幸せであり続けることを目指し、メンタルヘルスケアを通じて、いきいきと働き、笑顔(=「ラフ」)が満ちあふれる(=「フルネス」)環境を作るための取り組みのこと。

刀禰 真之介(とねしんのすけ)氏  メンタルヘルステクノロジーズ 代表取締役社長 企業の生産性向上のためには、社員が心身ともに健康であり、正常稼動することが大切との考えのもと、社員の心の健康に関するサービスを展開。企業の戦略的メンタルヘルスの要となる産業医のコーディネートを中心に、メンタルリスクの高い従業員をアラートするAI診断システム、セルフケアやハラスメント防止のためのeラーニング、研修サービスなどをトータルパックで提供する。

(以下、敬称略)

体裁のみを整えた企業が多い

編集部:まず、企業におけるメンタルヘルス対策の現状を教えてください。

ラフール 結城啓太 ラフールサーベイ ラフール代表取締役社長 結城啓太氏

結城:中小企業の場合、経営者が自らの意思でメンタルヘルス対策に取り組んでいる例はまだまだ少ないと思います。ボトムアップで人事部から必要性を告げられたものの、経営者は無駄な経費と考え、コンプライアンス上の義務として体裁だけを整えているというケースが多いですね。

一度事故が起きれば取り返しが付かないことですが、漠然と「うちは大丈夫だろう」と考えて、後回しにしてきた企業が多いのではないでしょうか。

ただ近年、働き方がクローズアップされていることで、労働基準監督署の厳しい指導や査察を受け、名ばかりの産業医契約ではダメだと指摘される事例が出てきている。そういった経験をし、産業医を置く本当の意味に初めて気がついたという企業の声を伺うことがあります。

刀禰:同感です。従業員数が50人になると、制度上決まっているからとりあえず産業医を置く(※)、100人ぐらいになると年に1~2人は休職者が出るので人事部が何らかの対策を始める、そして500人を超えてくると放置すれば年間1~2%以上の休職者が出るので経営課題になる。そこでようやく経営者が「産業医が重要らしい」と自覚する企業が多いと思います。

そこまでいかないと、経営者は社員のメンタルまで考えが及ばないのが現状ですね。

※労働安全衛生法により常時50人以上の労働者を使用する事業場においては、事業者は産業医を選任しなければならない。

穴あきバケツに水を入れている経営者

結城:メンタルヘルスケアの費用対効果は定量で見える化しにくいですし、経営者はプラスは好きですが、マイナスは見たくないという傾向が強いんです。エンゲージメントを高めていくことは楽しめても、ヘルスケア系の調査で「ここができていない」と示されるのは苦手だという人がほとんどですね。

でも、従業員のメンタルヘルス対策を放置するのは、水の入った穴あきバケツを持って走っているようなもの。多くの経営者は、穴を塞ぐことには興味を示さず、水を入れる方、つまり採用コストをジャブジャブ使う方がポジティブなお金の使い方だというイメージを持っています。

このやり方が効率的でないと気づくには、1度何かのメンタル対策を入れて離職率が下がり、採用コストが大幅に下がる経験をするしかありません。全体ではバケツの穴を塞がない人が8割、気づいている人が2割ぐらいという印象ですね。

なぜ精神疾患は増え続けるのか

編集部:そもそも、なぜ精神疾患を患う人が増え続けているのでしょうか

結城:まずは生産人口が減っている中で、一人ひとりの負荷が増えているためではないかと思います。また、ここ10年ほどでメンタルヘルスケアの認知度が一気に上がり、クリニックに相談に行く人自体が増えたことも影響しています。

メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介社長 メンタルヘルステクノロジーズ代表取締役社長 刀禰真之介氏

刀禰:僕は産業医の先生たちをフォローするビジネスをしていますが、経験の中から考えると、精神疾患を患う原因は「IT化」と「職場ストレス」の2つに集約されると思っています。

IT化のもっともわかりやすい影響は、情報量が増えていることですね。情報は脳に溜まっていくのですが、20年前に1日かけて得ていた情報量と、今スマホを使って朝の通勤電車の中で得る情報量はほぼ同じと言われています。現代人は、すでに脳が疲れた状態で仕事に入っているわけです。

またIT化についていけない人もいますし、SNSなどによりコミュニティが細分化された結果、コミュニティ内では快適な会話が楽しめても、コミュニティから一歩出ると言葉が通じにくくなっています。今の社会は、すでにそういう負荷がかかりやすい構造になってしまっているわけです。

一方職場ストレスは、グローバル競争が末端まで行き渡る中、プレイングマネージャーが増えていることと関係しています。職場でメンタルが壊れる一番の要因は「仕事の質と量」。自殺が一番多いのはマネージャー層である40代なんです。この年齢層は忙しく、彼ら自身が大きな負担を抱えている。

それに加えて、マネジメント研修をなかなか受けられません。未熟なマネージャーが増えているがゆえにハラスメントが生まれやすく、部下の精神疾患にもつながりやすくなっているのではないでしょうか。

ハラスメントが生まれやすくなっている

結城:ハラスメントが生まれやすくなっている背景には、世代間での教育の違いも関係ありますね。SNSと一緒に育ってきた世代は横のゆるいつながりを好みますが、縦のコミュニケーションは苦手な傾向があります。しかし社会に出たら急に縦コミュニケーションの世界に飛び込まなくてはならないので、ギャップに耐えられなくなってしまうのです。

また、刀禰社長がおっしゃったようにマネジメントの未熟さの問題はあります。今のマネージャーに求められるスキルが、過去に比べて明らかに高くなっているのもたしかです。

20年前のデータと比較すると、会社に貢献することにモチベーションを感じる割合は極端に下がり、プライベートや家庭を重視する割合は上がっています。これまでのように「会社のカルチャーはこうだから」を押し付けるような画一的なマネジメントは難しい。この価値観ギャップを捉えきれないマネージャーが何かいうと、ハラスメントと捉えられてしまうというわけです。

刀禰:マネージャー陣は大変だと思います。教育を受ける機会も少ないので、自分で若い世代のマネジメントを試行錯誤していくしかないのですが、一生懸命にやりすぎるとハラスメントと言われてしまう。どこまでやるかの線引きは、僕自身もすごく気を使っているところです。

問題は「何から手をつけるべきかわからないこと」

編集部:企業のメンタルヘルス対策はなぜ進まないのでしょうか。

結城:複数の原因がありますが、まずは産業医との連携が取れていないことにあるのではないでしょうか。実際、打合せで企業にお伺いすると「産業医と契約はしているけれど1回も産業医の顔を見たことがもない」と話す人事担当者もいます。もし自社がそのような状態なのであれば、適材適所でいい医師にめぐり合うだけでも違うと思います。

健康経営を奨励する政府としては、産業医を産業衛生分野の主役のようなポジショニングにしようとしています。ただ、産業医自身のモチベーションやマインドはさまざまで個人差もあるので、刀禰社長はまさにこの問題を解決しようとされているわけですよね。

刀禰:そうですね。

結城:企業はどこにいい産業医がいるのかわからないし、医師のマネジメントなんてとてもできません。だからこそ、間に入ってコーディネータとして動いてもらえる会社が必要だし、そういう存在はありがたいものだと思います。産業医は本来こうあるべきだというのを示して、産業医の負担も軽くしながら、企業側のより良い形を作ってくれるわけですからね。

メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介 ラフール 結城啓太

刀禰:そう言っていただけるとありがたいですね。僕の実感としては、そもそも何から手をつけていいのかわからないという会社が多いと思いますね。その場合、現状のチェックから始めるのがいいと思います。

僕たちが今数多く手がけているのは、本社と子会社、支社での対策にギャップがあるケースです。本社はしっかりした産業医の先生が付いてサポートしているけれど、子会社には名義貸しのみで本質的な対策をしていないというものです。まずは、コンプライアンスが第一フェーズになりますね。

戦略的メンタルヘルスを進めるために

問題が起きてはじめて対策の重要性に気づく経営者が多いことが、対策が進まないひとつの要因。それでは、メンタルヘルス対策を経営戦略を実行するための投資と考え、戦略的に進めるためにはどうするべきか。両氏によれば、ポイントは3つあるという。

ラフール 結城啓太 ラフールサーベイ

1.コンプライアンス(法令遵守)

結城:まずはコンプラインス上取り組まなければいけない事項を、進めることからだと思います。産業医がいないなら紹介サービスを行う会社に相談する、衛生委員会がないなら立ち上げる、ストレスチェック制度がないならばマニュアルを作ることからです。

そのうえで、運用レベルに乗らない、やっているけれどうまくいかない場合は、調査ツールなどを使って「今、会社がどうなっているのかを見える化する」ことをおすすめしています。

うまくいっていない会社は「ストレスチェックをしたらストレス者が30%いた」という事実は把握しても、それは誰なのか、なぜなのかについて、誰もわかっていない。まだまだそういった実態は多い印象です。

刀禰:結城社長がおっしゃるとおり、まずはコンプライアンス。次に課題把握ですね。ラフールさんのような現状を可視化できるサービスを利用し、ヒアリングをするなど、何が課題なのか、本質的に困っていることは何なのかを把握することだと思います。これは経営課題に近いので、人事部では把握しきれていないケースは意外と多いです。

2.経営者の理解とボトムアップの改革

結城:企業が戦略的にメンタルヘルスを進めていくうえで、絶対必要な条件は2つあると思います。1つ目は、代表者が宣言を行うこと。2つ目は、社長の宣言を受けてこれをミッションとして実行する専属担当者がいることです。

経営者と従業員の間にはマインドギャップがあるので、経営者目線での一方的な発信では「会社が何かやっているね」で終わってしまいます。会社が何のために制度を取り入れるのか、どんな風に進めていくのか、現場目線で広げていこうという主体性を社員が持たないと、いつまでも変わらないと思います。

メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介 社長

刀禰:トップの宣言は、経済産業省が定める健康経営優良法人の認定取得要件にもなっていますね。トップが「課題を解決する」と宣言しないと、人事部も旗を振れません。実際、上場している大手さんでも、現場は頑張っているのに役員決済、社長決済でストップするケースがままあるんです。

結城:そうですね。現場からのオファーで打ち合わせに伺うと、ネックとなるのは確実に経営者の理解です。「どうやってうちの社長を納得させようか」とよく相談されますが、経営者は具体的に見える数字や事例で納得しやすいです。他社事例を紹介したり、費用対効果を示したりして「他社でこんな仕組みを入れたら、こんな効果が上がったそうですよ」と伝えることも提案しています。

刀禰:それはたしかにいいですね。 僕らはもう少し経営者の感情に訴える方法で、心理学の「コンフォートゾーン」「ストレッチゾーン」「パニックゾーン」の図を使い「そもそも経営者は不安やストレス耐性が強い。あなたと一般社員のメンタルの強さは同じではないんですよ」という話をします。また、「健康を守るためにお金を使うように、企業も歳を取ればお金を使わないと健康を維持できませんよ」と話をすると、理解してもらえることが多いですね。

根拠がほしい時は数字や調査、一歩行動に移すまでには感情に訴える、両方のアプローチが大切だと思います。

3.現場に浸透させる

結城:メンタルヘルスケアを実践する方法は、会社の規模や状況により無数にあります。ある大規模小売店では、産業医が取締役として入り、下に5人の専属担当者がいて、全国の店舗を回って社員全員と面談しています。1か月でヒアリングした結果をすべて吸い上げてレポートにまとめ、経営会議に提出することを続けています。

また健康経営で有名なDeNAさん、ローソンさん、フジクラさんなどは先進的な取組みをなさっていますね。ただ一般の会社とは差が大きすぎるので、いきなりこれらの企業をベンチマークにするのはおすすめできません。

健康経営を文化として浸透させるためには、使命感を持った担当者が継続的に取り組む必要があります。一過性で終わってしまうのが、推進するうえでの一番の課題です。

刀禰:数ある方法の中で、僕らの経験からパフォーマンスが高いと思うのは1on1面談を繰り返すことですね。100人、200人規模の会社なら産業医が全員と面談できます。そこまでコストをかけられなくても、保健師と面談する、もう少しルーティン化してマネージャーと面談する方法もあります。常に相談しやすい環境を作ることが最初の一歩だと思います。

コストをかけずにすぐできる1on1面談

結城:ある大手人材会社では、1on1面談を可能にするために、まずマネージャークラス全員に1on1面談スキルを高める研修を行っているそうです。それに合格すると、部下が20人なら毎月1人と最低30分1on1の時間を設ける、というミッションが与えられるそうです。それを始めてから、離職率は劇的に下がっているようです。

刀禰:下がりますよね。弊社でもフォーマットを作って1on1面談を実施しています。かける時間は初回1時間、2回目が30分、その後は週1回5分ぐらいです。もちろん何かあればもっと長くなることもありますが、短くても効果を実感していますね。

結城:やり方は本当にさまざまですね。ある企業では、人事部の担当者が毎日出社してきた社員全員にたった2つの質問をするんです。「昨日はよく眠れましたか」「今日、熱はないですか」と。

そこで眠れない、熱があると答えた社員は理由に関わらず常駐する産業医の所に行ってもらうというルール。たったこれだけのことですが、3か月続けたところ休職率が劇的に改善しました。産業医が入ることで、体調が悪いのに無理に働いたり、風邪が蔓延したりしなくなったんですね。

お金をかけなくても強い組織を作るために、できることはあります。まずは一歩、行動を起こしてみることが重要です。