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「医師との距離を埋めたい」LEBERに込めた想い
高齢化を背景に医療費は増大し、結果として病床数の抑制、地方の医師不足などが常態化している。医師伊藤俊一郎さんは、この状態を「医療崩壊に近い」と表現している。
伊藤さんは、退院後も安心して療養できる場をつくりたいという想いから、2015年に入院・リハビリ施設のある在宅専門診療所「メドアグリクリニック」を、茨城県つくばみらい市にオープンした。現在、茨城県・千葉県で4か所のクリニックを経営している。
また、2016年大規模火災が起きた新潟県糸魚川市。伊藤さんは、地元糸魚川の支援のため、2019年5月に市営復興住宅1階部分にクリニックを新設した。
さらに、クリニック以外でも医師と患者の距離を埋めるための取り組みとして、株式会社AGREEを立ち上げ、日本初のドクターシェアリングアプリ「LEBER(リーバー)」を提供している。
LEBERは、スマートフォンアプリから、オンライン上のプラットフォームで24時間どこからでも医師に健康相談ができるサービスだ。個人での利用だけでなく、企業や高齢者施設・保育園など法人向けのサービス拡充もはかり、持続可能なヘルスケアシステム構築を目指している。
伊藤さんの医師としての原点はどこにあるのか。少年時代のエピソードもふまえ、支えてくれた母へ手紙を綴っていただいた。
お母さんへ
毎朝お母さんと一緒にバスを追いかけた
いつでもお母さんは私の味方でいてくれましたね。本当に心強かったです。ありがとうございます。
小さい頃から、お母さんとお父さんが朝早くから、夜遅くまで働いていたのを良く覚えています。それなのに私はいつも朝寝坊で、保育園に通うバスに遅れそうになり、毎朝お母さんと一緒にバスと追いかけっこしていたのを思い出します。(笑)
また新潟の冬はやっぱり寒かったのか、いつも足が冷えていて、一緒に眠るときに私の足を股に挟んで温めてくれていたのも、ついこの間のように覚えています。
祖母の突然の死、抜け落ちた記憶の中で
お母さんとの思い出と言われても多すぎて、どれかひとつをピックアップすることはできませんが、お祖母ちゃんが交通事故にあった夜のことは良く覚えています。
何で夜中にお母さんとお父さんが出掛けて行ったのか私にはわからず、そして次の日の朝にもお母さんと、お父さんが帰って来ず、不安な気持ちで小学校に登校しました。そして小学校で同級生から、お祖母ちゃんが亡くなったことを聞きました。
信じられずに急いで自宅に戻って父方のお祖母ちゃんに事実を問い詰めました。ここまではかなり鮮明に覚えているのですが、不思議なことにそこからの数日から数か月の記憶は全く残っていません。
おそらく私以上に悲しんでいるお母さんにも泣きつき、きっと怒り、かなり困らせていたことかと思います。本当にごめんなさい。
乗り越えた先に、医師を選んだ自分がいた
私は高校生となり、テレビドラマを観て医師という職業に憧れ、医学部に進学したのですが、その報告を小学校の先生にした時、祖母が亡くなった後の「全く抜け落ちている記憶の日々」についてお手紙をもらいました。
そこには暴れん坊であった私が「祖母の死」を通してふさぎ込みながらも成長していった姿と、その経験が医師という道を選ばせたのではないか、という先生の考察が記してありました。
正直あの頃の私が、お母さんにどう支えてもらったのか記憶もありません。でも想像はできます。きっと私が立ち直るのを辛抱強く待っていてくれたに違いないのです。
お陰で私は再び元気に走り始め、さらには医師という道を選ぶことができました。
年月が流れ、私にも2人の子供ができました。お母さんとお父さんが、私たち兄妹に注いでくれた愛情を今度は自分の子供達に注いていかなければと思います。
今年の5月からは私にとって大切な2人が住む故郷に新たにクリニックをスタートさせます。また家族で一緒にお食事に行きましょう。
俊一郎より
(企画・編集/安住久美子)