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現場からの報連相はナシでも会社は回る、「社長には内緒やで」が通じる組織作りを

最終更新日:(記事の情報は現在から731日前のものです)
ゴム関連製品や土木事業を展開する錦城護謨株式会社。長年BtoB領域の事業を手掛けていましたが昨今では、割れない「シリコーンロックグラス」を開発し、クラウドファンディングに挑戦するなどアイディアに溢れており、『Forbes JAPAN』の『SMALL GIANTS』を受賞する注目企業です。新規事業を立ち上げ時には社長直下に置き、細かく報連相を求めるケースも多い中、「現場に一任している。むしろ知らないことのほうが多い」と語るのは代表取締役の太田泰造氏。そんな太田氏に会社を回す組織作りの秘訣を聞きました。

【インタビュー】
錦城護謨株式会社 代表取締役社長 太田泰造氏
近畿大学商経学部卒業後、富士ゼロックス株式会社入社。2001年に錦城護謨株式会社へ入社し、土木事業部長、専務取締役を経て、2009年に代表取締役社長に就任。安心・安全なものづくりに取り組んでおり、歩行誘導ソフトマット「HODOHKUN Guideway」は世界三大デザイン賞のひとつ「iF Design Award 2016」の金賞を受賞するなど海外で高い評価を受ける。社員数は約300名。

家業に入社後、いきなり赤字事業の立て直しを

錦城護謨(キンジョウゴム)は大阪府八尾市に本社を置き、ゴム関連製品製造事業や土木事業などを展開している会社です。会社は1936年の創業ですが、最初はゴム商社で戦後に製造に乗り出し家電メーカーに販路を広げました。そして、ゴム関連製品を作るなかで、需要を受けて土木事業などにも幅を広げてきました。

私が当初は後を継ぐ気は一切なく、「自分の力で生きていきたい」とおもって富士ゼロックスに新卒で入ったのですが、折を見て父親である先代社長が「戻ってこい」と声をかけてもらい錦城護謨に入社したのは2001年のことです。

富士ゼロックスではずっと営業をしていましたから、錦城護謨でも営業をやるのかと思いきや、父親からは「土木事業に行け」と言われました。錦城護謨は地盤工事で羽田空港や工業団地の地盤などを手掛けています。昨今でも豊洲新市場の地盤工事などにも関わりました。当時は、北九州空港の滑走路の基礎基盤を作る仕事を受けていたのですが、右も左もわからないなかで私も船に乗りまだ橋もかかっていない現場に入ったことを覚えています(笑)。

当時の土木事業は3年ほど赤字が続いていました。赤字の理由には工期が伸びたり、価格競争に巻き込まれたなど複数あったのですが……。私が入り、現場のメンバーを集めて「みんな、どうする?」と聞き、アイディアを練って工期を短くし無駄を省きコストを見直すなど、一つひとつ改善を行っていきました。結果、1年間でV字回復し黒字にもっていけたのは嬉しかったです。このときの経験が、経営者としての第一歩だったように思います。

アイディアを思いついたら新規事業をやってみる

錦城護謨の工場内

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