「辞めるか、染まるか、変えるか」組織の病に立ち向かう方法-ONE JAPAN 濱松誠
(撮影/新井勇祐 企画・編集/安住久美子)
2006年に新卒でパナソニックに入社。2012年に若手社員を中心としたコミュニケーションの場として社内の有志団体「One Panasonic」を設立。2016年ONE JAPANを立ち上げ、NTT東日本の山本将裕氏と共同代表を務める。2017年日経ビジネス「次代をつくる100人」にも選出された。2018年末にパナソニックを辞め、2019年6月より妻の鈴木美穂さん(NPO法人maggie's tokyo共同代表)とともに世界一周旅行中。https://note.mu/makotomiho
ONE JAPANとは、2016年9月に設立された大企業若手・中堅有志団体のコミュニティである。パナソニック、富士ゼロックス、NTTグループ、日本放送協会、トヨタ自動車、東日本旅客鉄道など日本を代表する大企業50社の有志団体から1,700人が参加。組織の課題や解決ノウハウを共有し、各社の活性化につなげる、つながりから新しいオープンイノベーションを生み出す活動を行っている。2018年9月には「仕事はもっと楽しくできる~大企業若手50社1200人 会社変革ドキュメンタリー」(プレジデント社)も出版された。
※社数、人数は取材時のものです。
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「どうせ言っても無駄」組織の壁を乗り越えろ
終身雇用の崩壊、人材不足、副業解禁など労働環境の変化は著しい。働き方の選択肢が広がる中、条件面だけではなく、やりがいや使命感など、個人の価値観に合う働き方を模索する人も増えている。ベンチャーや起業は、その一例ともいえよう。
一方、企業規模が大きい、歴史ある企業であるほどに、個人の価値観を発揮しにくい空気はあたりまえと思われてきた。
「どうせ言っても無駄、言われたことをやっておけばいいとか。希望を持って大企業に入社してきたのに、諦めていく人たちを何人も見てきました。」
そう語るのは、ONE JAPAN発起人であり共同代表を務める濱松誠さんだ。
濱松さんは、「大企業の中で若手ができることは限られているものの、どうにか楽しく仕事ができる環境を作れないか」と考え、2012年パナソニック内の若手有志団体「One Panasonic」を立ち上げた。
One Panasonicは、若手のコミュニケーションを広げる飲み会としてはじまったが、徐々にいろいろな部署や役職の人が集う場になり、社長や役員も巻き込む団体へと成長する。そしてこれが、のちにONE JAPANを立ち上げるための原点にもなった。
大企業病は組織が抱える共通課題だった
ONE JAPANが設立されたのは、2016年9月。One Panasonicがメディアなどでも注目を集めはじめた頃、濱松さんの志に共感したNTT東日本の山本将裕さん、富士ゼロックスの大川陽介さんの3人が発起人となりスタートした。
「ONE JAPANは社内コミュニティの集合体です。One Panasonicをやっていて、いろいろな組織の悩みや課題が出てくる中で、これは他の会社も一緒だよねということに気づいたんです。社内コミュニティは、パナソニックにも、富士ゼロックスにも、JR東日本にもある。それぞれ悩まずに、みんなで共に悩みながら考えながら、動きながら解決していけないかと。」(濱松さん)
大企業が持つ共通の課題を、ONE JAPANでは「大企業病」と呼んでいる。
縦割りの組織でやらされ仕事ばかり。新しいことをやりたいがチャンスもない。古い体質の上司。やる気のある人がまわりにいない。頑張るだけ損、言うだけ無駄。モヤモヤしながら働く人がたくさんいる。
「大企業病というか、大組織病というか。これはある種避けられない部分がありますよね。たとえば少人数のスタートアップなら、やろうといったことがスピードをもってやれる。でも、大企業ではなかなかそれが通らないんです。そういうことが繰り返されると、どうせ言っても無駄だから自分のことだけやっておこうとなってしまう。どうせ言っても無駄症候群といっています。
それに大企業に限らず、あらゆるところで組織の病はあると思います。「先生に言ってもな、、、」「学校に言ってもな、、、」「国に言ってもな、、、」そういう想いの中から、change.orgや、ベンチャーやソーシャルでの動きなどが生まれてきたわけですから。(濱松さん)
自分たちができることは何か、問い続ける
ONE JAPANが目指すのは、大企業病のせいにせず、自分たちにできることをやろうという考え方だ。濱松さん自身、パナソニックで大企業病に直面した際に「辞める」という選択肢はなかったという。
自分のキャリアを考える中で、たとえばベンチャーの人と会うと、なんかかっこいいなとか、動きやすそうだなと思うことはありました。外資の社風なども、結果を出せばこんなに評価してもらえるんだとか。羨ましいといえば羨ましい、でも自分がそこに行っちゃうと結局は一緒だなと思ったんです。大企業の中で、パナソニックの中で、ベンチャーのようなうごめきを起こすのが、自分のユニークネスなのではないかと。(濱松さん)
最初に大企業を選んでしまった人は「ドンマイ」と言われるのか。ベンチャーに行けば成功するのか。若いからできないのか。辞めれば解決するのか。
すべては表裏一体で、いろいろな見方がある。ベンチャーだけが良いわけではなく、大企業だけが良いわけではない。自分は何ができるのかを問い続けることが重要だ。それが濱松さんの答えだった。
今いる場所で踏ん張ってもいいし、結果として辞めるでもいい。ただ熱量は維持していきたいし、誰でも、どんな環境にいても、いろいろな選択ができることを示したかった。組織の中で上だけを見るんじゃなくて、横も見て斜めも見て、違う世界を見て。そういうイントレプレナーを目指したかったし、そんな人がたくさんいたらいいなと思いました。(濱松さん)
ONE JAPANが作ってきたもの
これまでは、終身雇用や年功序列、新卒一括採用があたりまえだった。大企業に入れば、成果・やる気の有無にかかわらず給与がもらえる。企業側も危機感は持っていなかった。大企業病はこれまでの日本の仕組みが原因としてあったのかもしれない、と濱松さんは語る。
One Panasonicを作った当時、アングラ活動とか、闇研とか、キャリア勉強会とか、いろいろな形で同じような団体はあったと思うんです。ただOne Panasonicが違ったのは、アンダーグラウンドの活動ではなく、表に出て発信していったことです。ONE JAPANも同じで、スマートフォンやSNSの普及によって、同じ想いを持つ人たちが賛同してくれ、仲間が増えていきました。(濱松さん)
ONE JAPAN設立当初は、期待する声と同じく批判の声もあったという。若手が集まっただけで何ができるのか、アウトプットを出さないじゃないかと。それでも、リーマンショックや東日本大震災以降の閉塞感、漠然とした危機感を抱いている若い人たちには、ONE JAPANの活動は響いた。
ONE JAPANの活動で「自分たちも頑張れば何かを変えられるんじゃないかという希望をもらった」と、よく言ってもらえます。いろいろと批判する人はいる。それでも、やろうと手を挙げていいんだよと、ONE JAPANが示せたんじゃないかと思っています。(濱松さん)
大企業×大企業のイノベーションが生まれている
ONE JAPANでは、月に1回代表者会議を開き、各企業の有志団体代表がノウハウやアイディアの共有などを行っている。また実際に、ONE JAPANのメンバー同士のつながりから、企業間の協業事例も出ている。
たとえば富士ゼロックス、マッキャンエリクソン、東芝、日本IBMが共同開発したマインドフルネス瞑想ロボット「SHIRO-MARU」。2017年のCEATECで発表され反響を呼んだ。
また、三越伊勢丹で行っている衣料のシェアリングサービス「カリテ」も、ONE JAPAN内の企業との共創から生まれたものだ。ONE JAPANが主催するイベントで両社の担当者が出会い、カタチになったものである。