「一歩踏み出す人を増やしたい」大企業病は自分の中にある‐ONE JAPAN 山本将裕
(撮影/岸本美里 企画・編集/安住久美子)
NTT東日本ビジネス開発本部 第四部門 コラボレーション担当として、アクセラレータープログラム「LIGHTnIC」で、ベンチャーとのオープンイノベーションを推進している。2015年、NTTグループの横串を指す有志団体「O-Den(おでん)」を立ち上げ。2016年に濱松誠氏、大川陽介氏らと共同発起人となりONE JAPAN を立ち上げ、共同代表を務めている。
ONE JAPANとは、2016年9月に設立された大企業若手・中堅有志団体のコミュニティである。パナソニック、富士ゼロックス、NTTグループ、日本放送協会、トヨタ自動車、東日本旅客鉄道など日本を代表する大企業50社の有志団体から1,700人が参加。組織の課題や解決ノウハウを共有し、各社の活性化につなげる、つながりから新しいオープンイノベーションを生み出す活動を行っている。2018年9月には「仕事はもっと楽しくできる~大企業若手50 社1200人 会社変革ドキュメンタリー」(プレジデント社)も出版された。
※社数、人数は取材時のものです。
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「ひとりでは生きていけない」被災した原体験
昨年1,000人を集めたONE JAPANのカンファレンスが、今年も9月29日に開催される。立ち上げから3年、50社50団体、延べ1,700人が参加する組織に成長したONE JAPAN。濱松誠さんと共同代表を務めるのがNTT東日本の山本将裕さんだ。
山本さんは2010年にNTT東日本に入社し、宮城県石巻の営業支店に配属された。彼の転機となったのは、2011年に起きた東日本大震災。営業で女川の海沿いを運転していた際に地震が起き、間一髪津波から逃れたものの、当時住んでいた家や支店も被害にあったという。
「寝る間も惜しんで復旧活動をしていたのですが、被災者の方から『お前らの通信が生きていたらもっとたくさんの人が助かったのに』と怒られることがありました。通信インフラが世の中を支える責任や社会的影響を強く感じましたし、自分がひとりでは生きていけないんだという感覚はこのときに作られたと思います。」(山本さん)
山本さんは被災地の復旧活動に尽力し、仙台支店へ移動後は、仮設住宅に住む高齢者の見守りを行うIoT事業を自治体と推進。目覚ましい活躍で社内表彰を受けた。しかし、後に本部のビジネス開発本部に移動になり、再び転機が訪れる。
大企業病は誰にでも起きる病だった
華々しいキャリアを積み上げてきた山本さんだが、本部での仕事には楽しさを感じられなくなっていったという。社内調整の資料づくり、会議の連続、アイデアを出しても「うちではできない」と最初から聞いてもらえない。
「何のための仕事なのかわからなくなり、会社に対する怒りばかりが出てくる。やる気もなくなり、毎日仕事をさぼって売店に逃げ出す生活でした。仕事って、can(自分ができること)、must(会社が求めるもの)、will(自分がやりたいこと)がうまく重なるのが一番いい状態だと思うんです。でも、これがバラバラになってしまうとやらされ仕事になってしまう。大企業は特にですが、そもそもwillがない人もいる。僕はまさにそんな状態でした。」(山本さん)
エースだった山本さんが陥った「大企業病」。それを打ちやぶったのは、社外の人とのつながりだった。
「仕事がつまらなかったので定時に退社し、社外の人にたくさん会うようになりました。飲み会を繰り返し、年休をとってスタートアップの仕事を手伝うなど。2年間で2,000人くらいの人と会いました。ここで、いろいろな価値観や仕事にふれ、知恵が広がり、willが生まれてくる。うちみたいな通信インフラの会社こそ、スタートアップやベンチャーにリソースを投資すべきだと考えるようになりました。この経験が、今のアクセラレータープログラムにもつながっています。」(山本さん)
濱松誠との出会い、ONE JAPAN立ち上げ
社外の人たちとたくさん会う中で、辞めようと思ったことは何度もあったという。「うちに来ないか」と誘ってくれる人もいた。しかし、「会社の人たちに絶対負けない知識と人脈をもって、会社を中からぶっ壊したい」という想いが、山本さんを踏み留めた。
そんな時期に、当時パナソニックでOnePanasonicを立ち上げていた濱松誠さんと出会うことになる。「辞めるか、染まるか、変えるか」。濱松さんの言葉を聞き、すぐにNTTグループ横断の有志団体「O-Den」を立ち上げた。
「NTTグループは全体で28万人の従業員がいるんです。大きな組織ゆえに、グループ各社が何をやっているかお互いわからない。横串を指す団体を作り、頑張っている人同士がつながれるようにしたいなと思いました。」(山本さん)
そして2016年9月、同じ志を共有する濱松さん、富士ゼロックスの大川さんとともにONE JAPANを立ち上げた。
ONE JAPANの意義は土壌づくりとアウトプット
ONE JAPANを「意識高い系」の若手が集まっただけ、と揶揄する人もいた。しかし、山本さんはそうした声を冷静に受け止めている。
「ONE JAPAN自体が大企業を変えているというわけではありません。ONE JAPANはあくまで大企業の中で頑張りたいと思っている人のコミュニティですし、変えるためにはもっと多くの人を巻き込まないといけない。それだけでは、会社は変えられないです。
たとえば会社と会社同士、やる気のある優秀な人同士がつながって、新しい事業を起こしてもいい。得たことを会社に持ち帰り、組織改革をしてもいい。いろいろな能力の人と出会い、自分の視座をあげるきっかけにもなる。そういう仲間づくり、土壌づくりという機能が、ONE JAPANのひとつの意義なんです。」(山本さん)
ONE JAPANの加入条件は、有志団体であること。それぞれの有志団体が成長し、会社に持ち帰ることで大きな変革が生まれるかもしれない。そのための土壌づくりの場がONE JAPANなのだ。
一方、土壌づくりと同じく山本さんが重要だと考えているのが、アウトプットだ。