トレジャーデータ芳川氏に聞く「$100M ARRのエンタープライズSaaS企業の作り方」
【登壇者プロフィール】
芳川 裕誠氏 Treasure Data, Inc. Co-Founder
日本生まれの起業家。2009年に米シリコンバレーに渡米。2011年、マウンテンビューにてTreasure Dataを共同創業。3回の資金調達に成功し、著名VCから合計5400万ドル(約57億円)を調達する。2018年7月、英Arm社が約6億ドルでTreasure Dataを買収。現在は、Arm社のデータビジネス部門のVP兼General Managerとして従事。
前田ヒロ氏 ALL STAR SAAS FANDマネージングパートナー
2010年にスタートアップの育成プログラム「Open Network Lab」をデジタルガレージ、カカクコムと共同設立。のちに、BEENOSのインキュベーション本部長、東南アジアなどを拠点とする「BEENEXT」を設立し、世界のスタートアップ100社以上に投資を実行。2019年SaaSベンチャーに特化した投資と支援行うALL STAR SAAS FUNDを設立。
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アーリーステージから「エンタープライズ狙い」
ALL STAR SAAS FANDを率いるモデレーターの前田ヒロ氏は、「日本人が立ち上げたSaaS企業で日米で通用し、ここまでの規模に成長した企業はほかにはないと思っている」と、Treasure Data, Inc. (トレジャーデータ)芳川氏を紹介。他に注目すべきSaaSマーケットはという問いから始める。
それに対して、芳川氏は、「基盤系のSaaSはもうほとんど勝負がついちゃってる」と端的に回答。"一見ニッチだが、まだまだオンプレのソフトウェアが全盛で、そこをSaaSに置き換えていくというポジションの企業には可能性がある"と見ているとのことだ。
セッション冒頭から、前田氏のアグレッシブな深掘りが期待でき、会場全体が一気に引き込まれた。
前田氏:まず、トレジャーデータがどういうサービスを展開しているか説明をお願いします。
芳川氏:トレジャーデータは日本人のエンジニア2人と私が、シリコンバレーで2011年に設立した会社です。3回の機関投資家からの資金調達ラウンドを経て2018年7月にArm(英)に買収されましたが、元々はビッグデータを解析できるサービスを開発・提供していました。
でも2年くらいしてAmazonがデータベースサービスを始めたりと、「ホリゾンタルの基盤は難しいな」と思っていたところ、ユースケースを眺めていたら、大企業って営業、マーケ、販売、物流など、コンシューマーに対していろんな切り口のデータを持っているのですが、それらを統合して分析するというパターン化されたTreasure Dataの使われ方が見えてきたのです。
カスタマーデータプラットフォーム「CDP」と呼んでいますが、伝統的な大企業のデジタルトランスフォーメーションを推進するためのコアとなるデータベースを提供する、というサービスに変わってきました。
前田氏:ユースケースをしっかり見ることで、サービスが変わっていったわけですね。
芳川氏:テクノロジーと製品は違うとよく言われますけど、まさにそう。データウェアハウス・イン・ザ・クラウドと、CDPに衣替えしてからとでは、実は私たちが作っているテクノロジーそのものはそこまで変りません。しかし、どうパッケージして、どういうポジショニングをして、どうやってプライス付けて、誰に売るかを変えることで、新しいマーケットを醸成できました。
前田氏:立ち上げ期から、「エンタープライズで行こう」と決めていたのですか?
芳川氏:それはもう間違いないです。SMBにフォーカスして10億ドルまで伸びた会社は非常に少ないはずです。どこかでエンタープライズに行かなきゃいけないなら、最初からそこを攻めようとアーリーステージのメンバーと合意していました。
でも、一番最初の顧客はSMBからというのは間違っていないと思います。プロダクトマーケットフィットを確認するためには、まずプロダクトを使ってもらわなければならない。いわゆるキャズムの図でいうところのイノベーターを探さざるを得ないのです。
そういう意味では、SMBから始めることは全然悪くはないですが、リピータビリティを確認できた時点でエンタープライズにギアを切り替えていくことは、早ければ早い方がいいと個人的には思っています。
前田氏:最初の10社ってどうやって獲得したんですか?
芳川氏:本当の最初は知り合いです。最初の20社、30社は製品開発をお客さんと二人三脚で進めるようなイメージです。
あと、トレジャーデータは自社でオープンソースプロジェクトを公開していたので、それを活用しようとする大企業をトレジャーデータの顧客リードにする方法も採用していました。オープンソースの伝統的なビジネスモデルは、サポートやエンタープライズ用機能提供ですが、そうではなくてリードジェンに活用するこの手法は、ある投資家に「オープンソース2.0だ」と表現されました。
顧客の声が開発のプライオリティを管理する
前田氏:初期からエンタープライズを目指すと、カスタマイズの依頼が多くプロダクトが完成するのに時間がからないですか?
芳川氏:そうですね。いわゆる受託っぽい仕事になりかねないので、どこまで付き合うかはCEOの判断だと思います。私たちの場合は、3つの開発の軸があります。1つめは、ユーザーエクスペリエンス。どれだけユニバーサルに、どの国でも受け入れられる製品にするか。2つめは、自分たちの強みであるデータベースを中心とした技術基盤のさらなる追求。3つ目が、(SMBよりも)エンタープライズ向けの機能です。
前田氏:開発の優先順位を決める基準ってありますか?
芳川氏:エンタープライズの場合、精緻なパーミッション管理など、従業員50人や100人規模の会社では不要なファンクションがいきなり求められたりします。フォーカスは重要で、SMBもエンプラもやる、日本もヨーロッパもアメリカもやるのは難しい。そのため、お客さんの声がプライオリティを管理するくらいの気持ちで優先順位を付けていくのが、個人的にはいいんじゃないかなと思います。
1社しか要望していないファンクションは作る必要はないですが、100社のうち10社が似たような機能をリクエストしていたら、そこに対してはフォーカスすべきだとか、バランスは大事ですけれどね。
前田氏:エンタープライズに適した組織や体制の整え方はありますか?
芳川氏:企業カルチャーは大切です。トレジャーデータの場合、営業と開発が非常に近く、「トレジャーデータは営業が中心の会社だ」と開発側もよくわかっているので、フィードバック力が高いです。もう1つは、うまく行かなかったときに、隠したくなる気持ちを我慢して、誠実に馬鹿正直にきちんとしたコミュニケーションを取ると、中長期ですごい信頼を得られるところがありました。
前田氏:ちなみに、ARRゼロから1はどれくらいかかりましたか?
芳川氏:ゼロイチは早かったです。2年くらいかな。1から10は3〜4年だから、結構かかりましたね。10から100はまた早かった。
リピータビリティが確保されたら、プレイブックを作る
前田氏:10から100に行けた要因は何だったと思いますか?
芳川氏:行けると思えたのはリピータブルなビジネスモデルができたタイミングですね。
SaaSの会社は一定のところまで行くと、プロダクタビリティのモデルができる。たとえば、営業1人に対してSE1人とサポート0.5人のチームでACV2億が獲得できます。そうすると、投資計画のプレイブックができるので人を順調に増やしやすくなりました。
前田氏:コンペティターはどれくらい意識していました? 勝率や機能性のギャップなど。
芳川氏:コンペティターは意識するなとよく言われますが、やっぱり気になりますよね。ただ、その場の勝ち負けそもののよりも、プレイブックに沿ってコンバージョンを元に事業計画を作成しているので、勝率が低ければ追加投資をする前に対策を検討するようにしています。機能性についても、自社の強みをどれだけレバレッジを効かせるかを優先して考えていたので、チェックボックスみたいに1から10までコンペティターとのギャップを埋めなきゃとは、思っていなかったですね。
海外進出、だからこそ「カテゴリクリエイター」を目指す
前田氏:トレジャーデータは、なぜチャレンジングなアメリカを狙ったのですか?
芳川氏:トレジャーデータは基盤ソフトウェアの会社で、コンピューターの歴史を紐解くとやっぱり基本はアメリカ。アメリカでデファクトスタンダードをとると世界が待っている。そういう意味では、創業メンバーのDNAである基盤ソフトウェアをやるなら、アメリカだろうなって思いました。
前田氏:最近よく相談を受けるのが、日本のサービスを海外に展開したい、でも海外はすでに先行しているプレイヤーがいる。そういう状況下でも挑戦すべきなのか。もっと競合分析をしたうえで勝てるセグメントで勝負した方がいいのか。どう思いますか?
芳川氏:日本のマーケットも大きいけれど、アメリカのマーケットはもっと大きい。これは間違いないのです。大事なのはやはり冒頭にも少しお話したとおり、ニッチをどれだけ探すか。最近流行りの言葉ですけど、「カテゴリクリエイター」になることは大事ですね。
小さくてもいいから、勝機のあるニッチを探して、そこでとにかくマーケットシェア100%を目指して頑張る。すでに先行している会社がほかのマーケットを取っていたとしても、残っているマーケットはあるはずで、それにどれだけフォーカスできるかが大切です。そこをBeachhead(橋頭堡)、ジェフリー・ムーアの言うボーリングの1番ピンとして、次の近接マーケットに広げていく。
前田氏:日本とアメリカで、経営が全然違うという話もよく聞きますが、マネジメントやモチベーション管理の違いってありましたか?
芳川氏:アメリカでは従業員のリテンションについてはいつも考えています。さらに日本とアメリカの大きな違いとしては、特にシリコンバレーには、例えばデータベースプロダクトでARRを1000万ドルから1億ドルにしたことがあるプロダクトマネージャーや、セールスリーダーなど、日本にはいない人材が細かいカテゴリーごとにいることです。こういう人材は、金額を気にせず採用するようにしています。どうしてもリテインしたいメンバーにはストックオプションの追加を適宜行うなど、モチベーション管理を徹底しているのは事実ですね。
前田氏:そういった日本にはいない人材から得られる知識や知見は、日本の市場でも応用性は高いのでしょうか?
芳川氏:はい、応用性は絶対にあると思います。アメリカの方が日本と比べて営業プロセスが長いとか、アメリカのセキュリティ基準は日本の企業はほとんど気にしないとか、地域差はありますけど、日本とアメリカのエンタープライズのマーケットはかなり似ています。
前田氏:シリコンバレーのVCから調達されたときは、どんなプレッシャーやサポートがありましたか?
芳川氏:リピータビリティについてはKPIで追っていけと、取締役会で毎回厳しく指摘されました。サポートは、シリーズA、B、Cで全然違いました。
シリーズAはお互い共有する時間の長さと密度の濃さから自然と信頼関係が作られて、困ったときはにいつでも相談相手になってくれるという関係。シリーズB、Cの投資家さんはその熱さのある関係にはそこまで入ってこようとはしません。むしろCEOではなくて、その下のVPクラスたちをポートフォリオ企業から集め、各企業の同じファンクション同士のクローズドなグループを作り、お互いコミュニケーションし合う、育成されていくというのをやっていました。日本でもぜひやったらいいなと思います。
SaaSを突き詰めると、経営はサイエンスになる
セッション終了間際、前田氏は「最後に伝えたいメッセージやアドバイスを」と芳川氏に促した。
「SaaSは、ソフトウェアのデリバリモデルとして非常に面白い。突き詰めれば突き詰めるほど、経営がアートからサイエンスになっていく」(芳川氏)
前田氏もこのコメントを受けて、「僕もそこがSaaSの楽しさかなって思います。真面目でロジカルで勉強熱心であればあるほど、SaaSの経営は上手くなるし成功するんじゃないかと思います」と締めた。