小売業の「勘と経験」はAIでナレッジ化せよ――ABEJAに聞くリアル店舗の生存戦略
一ノ宮佑貴
Retail SaaS Division Manager
一橋大学卒。大学卒業後、新卒でグーグルへ入社。アカウントマネージャーとして主に広告営業を担当。2015年1月よりABEJAに参画し、大手企業へのソリューション営業、新規プロダクトの事業開発を主に担当。現在は事業責任者として営業・カスタマーサクセス・プロダクト開発のマネジメントを行っている。
Amazonの台頭、それでも「リアル店舗」に注目すべき理由
――貴社では小売×AIによる次世代のスマートストアの実現を掲げています。トレンドは「リアルからネットへ」ですが、リアル店舗に着目している背景はいかがでしょうか?
Amazon(アマゾン)をはじめとして、ECの利用は一般に浸透しており、またメルカリのようなCtoCサービスも出始めているなど、リアル店舗が絡まない形での売買の動きは増えてきています。米国は利便性を追求する文化ということもあり、リアル店舗は急激に減少していますね。
ただ、そのような状況だからこそリアル店舗で直接顔が見えることにも意味があって、接客やコミュニケーションの力はさらに重要になってきています。日本の小売業は世界でもトップレベルですので、これをグローバルスタンダードとしてアジアをはじめとした海外に輸出してきたいという思いで事業に取り組んでいます。
――O2O(Online to Offline)マーケティングという言葉もありますが、確かにオンラインだけでなくオフラインも上手に組み合わせたマーケティングの重要性は高まっていますね。リアル店舗向けには具体的にどのような機能を提供しているのでしょうか?
日本の小売業は世界でもトップレベルにあるのですが、売上や利益の管理方法やオペレーション部分の形式化はなされておらず、まずはこの形式化支援に注力しています。特に多店舗経営にあたっては形式化が重要ですので、形式化支援の文脈で多店舗経営支援もさせていただいています。
――多店舗経営にあたっては形式化が重要とのことですが、ABEJA Platform for Retailでは具体的にどのような形式化支援を行っているのですか?
そもそも私たちABEJAはAIのブレークスルー技術である「ディープラーニング」を活用した解析プラットフォーム「ABEJA Platform」を提供する企業です。このプラットフォームを活用したサービスとして実店舗におけるさまざまな情報を収集・解析・可視化する「ABEJA Platform for Retail」を小売企業さまに提供しています。
このサービスでは、入店率や買上率、年齢・性別といった顧客属性や回遊状況など、店舗指標の可視化を行っています。
入店率は店舗の前にいる人数に対して実際に来客した人数の割合、買上率は来客人数に対して実際に購入した人数の割合で、これまで売上金額や購入人数、客単価といった結果指標しか見えていなかったところに対して、画像認識技術などのテクノロジーを駆使して新しい指標を計測できるようにしました。
――リアル店舗における入店率や買上率など店舗データの可視化を実現したということですね。なぜこのような指標に着目したのでしょうか?
来客人数や売上金額といった絶対値指標は、店舗面積や人通りの多さなど立地条件によってしまうことが多いのですが、入店率や買上率は店舗努力によるところが大きく、多店舗経営にあたって重要な指標となります。
また、こういった入店率や買上率はWebでは当たり前の指標ですよね。Webの場合は検索クエリやアクセスの経路、インプレッション、クリック率、コンバージョン率などあらゆる指標を計測することが可能です。これらをリアル店舗でも計測しよう、という発想です。
小売では面積を広くすれば売上は増加しますので、店舗の効率性を示す指標として月坪売上を用いる場合が多いのですが、月坪売上が大きな店舗は我々が取得できる入店率や買上率といった指標で評価してみると必ず良い数値が出ます。
私は、前職のグーグルで広告販売をしていましたので、弊社でリアル店舗向けのマーケティング支援をはじめてからはデータを全く取れていないことに驚きましたが、よくよく見てみるとWebとリアル店舗にはほとんど違いがありませんでした。
Webではまずクリック率を改善して、その後LPでコンバージョンしなければLPを改善してといった流れですが、リアル店舗でもまさに同じで、お店作りとプロモーションによって入店率を上げて、その後売場でコンバージョンしなければ売場や商品、接客という指標を改善していく。結局同じ話なんです。
AIを活用して勘と経験から脱却せよ
――Webで当たり前に計測する指標をリアル店舗でも計測できるようにするといった発想は面白いですね。ということは、顧客の属性や導線分析も可能ということでしょうか?
もちろん属性分析も可能です。店前にどのような属性の顧客がどの程度いて、属性ごとに入店・買上にどの程度繋がったのか、性別や年代などクロスで分析することが可能です。
こうした分析では、弊社の強みである画像認識技術がとても活きてきます。またその他にも、店舗のどのエリアを通行・滞在したかが分かる導線分析も行えます。
――画像認識といえばAIが活用される領域ですね。現時点で精度はどの程度ですか?
人数で言えば99%、性別は95%程度の精度で認識できます。年代は10代刻みで分析しているのですが80~85%程度ですね。年代の認識が難しくて、たとえば18歳と22歳の場合は違いが大きいので認識できますが、48歳と52歳では違いが小さくて認識できないようなケースも多いです。
とはいえ、実際の購買行動は実年齢よりも見た目年齢との相関が強いので、この認識率でも十分だと考えています。正確な生年月日が出るポイントカードよりも実は優れた属性分析ツールだと思いますね。
――ヒートマップ分析も可能と伺いました。こちらは具体的にどのような分析でしょうか?
これまでの入店率や買上率とは異なり、顧客の店舗内における行動の可視化が目的となります。導線分析をすることで店舗のレイアウトを最適化し、顧客の買上率の増加、顧客単価の増加によって売上アップを図ります。
――アパレル事業を展開するウィゴーの「WEGOららぽーと横浜店」への導入では、ヒートマップ分析によってレイアウトの最適化を行った結果、実際に売上が増加したと伺いました。
ウィゴーさんには大変ご好評いただいていて、ABEJA Platform for Retailを活用したヒートマップ分析によってメンズニットの売上構成比が+2%になったようです。
目玉商品であるメンズニットの売上が悪かった時、ヒートマップ分析によって来店者がニットのあるコーナーではなく別のコーナーに流れていってしまっていると分かったようです。
そこでウィゴーさんでは、ニットコーナーに歩いていきたくなるようなレイアウトへと調整を行いました。その結果、通行量が大きく上がり、売上がアップしたとのことです。
※左がレイアウト改善前、右がレイアウト改善後。奧のニットコーナーに向けて、来店者の動きが大きく作られていることが分かる。
――素晴らしいですね。ウィゴーさんの場合だと、ヒートマップ分析の結果を踏まえてレイアウト変更を行ったことで売上アップを実現したということですが、AIを活用してレイアウト変更などの提案までできるのでしょうか?
現時点ではまだ提供していませんが、将来的には機能として実装していきたいと思っています。これまでに、入店率や買上率など優秀な店舗の基準を明確化し、他の店舗もこの基準にあわせて改善していきましょうという目標を立てられるステージまできました。今後は、その目標に向けてどのように改善していくのかといった行動を設計するハードルがあります。
このあたりは、我々が長らく試行錯誤しているところです。もちろん小売にも業界標準というものはあるのですが、結局その店舗のブランドや現場の従業員の個性にも左右されますのでそれを適応しきれません。
結局、売れている店舗では現場が工夫していることが多く、たとえばテレビで取り上げられるようなカリスマ店長は1時間ほど店舗の外で立っていると潮の変わり目がわかる、といったこともあるようです。
その他にも、いわゆるVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング。視覚に訴えながら顧客の購買を喚起するディスプレイによるマーケティング手法)のようにその場で店頭のディスプレイを変更してお客さまが増やす手段はありますが、こういったものはこれまですべて勘と経験の領域で、ここを科学したいと思っています。
モバイルアプリやAPI連携を通じてデータを蓄積する
――勘と経験を科学するというのは、まさにSaaS業界における人工知能活用のテーマとなっている部分ですよね。
そうですね、こういった勘と経験は、今できていないだけで本来はナレッジ化できるものです。このあたりが次のステージで、基準の明確化だけでなく、今後はその基準となる数値のWhyやHowを明らかにしていくために2017年4月から現場向けのモバイルアプリをリリースしました。
新しいアプリには数値の可視化だけでなく、チャット形式でその日に何をしたのか、またカレンダー形式でどのようなイベントを行ったのかを記録して共有する機能があります。
これを活用することで、何をどうやったからこの数値になったというWhyやHowの情報を取得できるようになります。多店舗展開の秘訣は良い成功事例をどれだけ効率的に横展開していけるかですので、たとえばカリスマ店長の動きを吸い上げて他店舗に展開できれば非常に価値があります。
この提案を人工知能や機械学習によって行っていきたいのですが、現時点ではまだデータが不足していますので、こういった新しいアプリなどを通じて蓄積していこうと思っているところです。また、経営層向けにその日の現場での行動やイベントと結果としての数字を自動でレポート配信する機能も用意しています。
――機械学習の活用の仕方として画像認識や文字認識などありますが、アルゴリズムも出回っていますし、すでに精度も上がり切っているような印象も受けます。今後はデータをいかに蓄積していかに活用していくかがより重要でしょうか?
おっしゃる通りで、まずは画像認識に精通していること自体も必要なステップでしたが、将来的に機械学習やディープラーニングを強みとしていくためにはやはりデータの量が最も重要ですね。現状はデータを蓄積するフェーズと位置付けており、より多くの店舗でご利用いただいてデータが蓄積していけばさまざまなことができるようになっていくと思っています。
――データを蓄積していく手段として、自社単独で蓄積していくだけでなく、API連携などによる他社サービスを通じた蓄積方法も広がっています。貴社ではどのような連携をしていますか?
POSとの連携は積極的に進めている領域です。東芝テックさまとは先日資本業務提携をしたばかりですし、他にはスマレジさまなどiPad POSの事業者さまとはAPIで簡単に連携が可能です。データを頂くだけでなく、弊社のデータも提供できますので、Win-Winな形で相互連携することができています。
――新しくリリースされたモバイルアプリではチャット機能を提供していますが、こちらは小売業界に特化したビジネスチャットツールといった印象です。小売業界特化といった文脈で、ERP領域やCRM領域へと拡大していくことも考えていますか?
そうですね、まだ具体的な予定はありませんが従業員の勤怠管理や店舗向けのCRMは既存のサービスとの親和性も高いので、将来的に拡大していければと考えています。特にリアルでのマーケティングオートメーションにはチャレンジしたいですね。
たとえば店舗で取得した顧客データと周辺のデジタルサイネージを連携させて、通行人にあわせた表示にするなど、リアルのマーケティング活動の効果を引き上げるような打ち手はたくさんあると思いますし、今後技術や法律の整備が進めば実現も可能です。
――入店率を引き上げる施策として、たとえば店舗から50mほど離れた地点のデジタルサイネージで広告を表示するといったことができれば、さらに面白い世界になりますね。すでに連携の話も進んでいるのですか?
デジタルサイネージについては色々な話を進めています。今後数年以内にはリアルマーケティングオートメーションの領域で何かしら実現できるのではと思っています。
店舗経営の高度化と、店舗従業員の生産性向上を目指す
――小売業界に特化する形で店舗分析からMA、CRM、人事といった周辺領域へと拡大していく動きとなりますが、SaaS市場全体を見渡してみると業界特化型のツールはやっと出始めてきたといった印象です。業界特化型SaaSだからこその難しさはありますか?
グローバルでも国内でも、やはり業界特化型というよりは業界を問わない課題解決型のSaaSが中心で、業界特化型の場合はマーケティング手法が大きく異なってきます。課題解決型の場合は中小企業に面でアプローチしていくイメージですが、業界特化型の場合はその業界ならではの業務をしっかり押さえながらアプローチしていくことが重要です。
弊社では小売経験者がいない中でサービスをスタートしていますので、はじめは業界をしっかりと理解するところからでした。今ではかなりナレッジも蓄積してきていますので、この業界特化型SaaSならではの難しさが参入障壁にもなっていますね。
――ABEJA Platform for Retailの提供を通じて、どのような世界の実現を目指しているのでしょうか?
多店舗展開にあたっての課題として、これまで話したように目標となる基準や成功事例の共有ができていないということもあるのですが、もっとリアルな課題として店舗を運営する店長人材が育たないといったものもあります。
以前までは10年、15年と下積みをした人が店長になるケースが多かったのですが、最近では急激に店舗数が増加すると1年しか鍛えられていないような人材がアルバイトからすぐに店長になるようなことも増えています。とはいえ教育や採用も難しい業界ですので、経験の少ない人材でも店舗運営ができるような世界を実現できるツールを提供したいと思っています。
一方で、店舗が多すぎるといった側面もあると思いますので、正しい出店戦略・退店戦略を支援するツールにもなって欲しいです。あとは特に小売業界の労働生産性は低いので、一人当たり生産性を劇的に改善するようなツールにもしていきたいですね。生産性の改善という意味では、品出しや検品などバックヤード作業もご支援できればと考えています。
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SaaS業界レポート著者の視点
SaaS業界においては、Horizontal SaaS(業界を問わず特定の部門や機能に特化したSaaS)に遅れは取っているものの、小売業界に対するABEJAのようなVertical SaaS(特定の業界に特化したSaaS)が確実に存在感を示し始めています。このVertical SaaSの普及にあたっては現場に合わせたUI/UXの最適化がより重要となっています。
販売や生産の現場では落ち着いてパソコンを操作するような時間は無く、動きながらタブレットやスマートフォンといったモバイル端末を利用することが中心となるため、Vertical SaaSにはモバイル対応が現場最適化の動きとして求められます。そのため、例えばABEJAでは現場の店員のコミュニケーションやナレッジシェアを促進するために専用のチャット・カレンダーアプリをリリースしました。
一方でHorizontal SaaSにとってはどの程度までVerticalな需要に対応すべきかについてはより高度な戦略と選択が求められます。Horizontal SaaSの強みはより汎用的な部分のスピーディな改善にあるため、改善のスピードを落とさないためにVerticalな需要は捨てるべきか、Verticalだとしても規模を追求しうる領域では戦略的に需要を拾っていくべきか、あるいはVerticalな需要の拾い方として連携を選択すべきか、中長期的な戦略と照らし合わせて意思決定していくことが必要です。